北朝鮮との対話はそんなに悪いことなのか? ①~対話に求めるもの

最近北朝鮮が目に余る暴挙を繰り返しているのを受け、「圧力」という二文字のみが幅をきかせ、「対話」は口にするのも憚られる風潮がみられる。北朝鮮相手に対話のみを言うのは論外。しかし、圧力のみで北朝鮮の核・ミサイル廃棄を実現するというのも非現実的な感情論であり、やり方を間違えると北の核・ミサイル開発を加速しかねない。一方で、対話には、北朝鮮の核・ミサイル開発を多少なりとも遅らせる、北朝鮮との間に意思疎通のチャンネルを作って危機管理に役立つなど、圧力には期待できない効果を見込める可能性がある。少し冷静になって、対話の意味を考えてみるべきだ。

北朝鮮の核・ミサイル開発を巡って国民の間に不安が広がっている。それを受けて今、日本では「圧力」が幅を利かせ、「対話」を口にすれば、「弱腰」「宥和」「平和ボケ」の批判が浴びせられる雰囲気である。その代表格が安倍晋三総理だ。

 

「対話ではない。圧力なのです」

 9月20日の国連総会演説は特に強烈だった。安倍は、演説の実に85%以上を北朝鮮問題に割いた。(前日の国連総会でトランプが北朝鮮に言及したのは演説の1割にも満たなかった。)トランプが歴代米政権の北朝鮮政策を批判するのをお手本にしたのだろう、安倍は1994年の「枠組み合意」や2003年から2007年にかけて行われた六者協議を無視して北朝鮮が核・ミサイル開発に邁進したことを延々と説明し、対話がいかに無益かを強調。北朝鮮に核・弾頭ミサイル計画を放棄させるために必要なのは「対話ではない。圧力なのです」と断じた。

※ 六者協議には安倍も総理として関わっていたし、国際社会は北朝鮮と対話のみを行ってきたわけではなく、過去も種々の制裁をかけてきた。しかし、そうした「都合の悪い」事実に触れるような安倍ではない。

9月25日、東京へ戻って衆議院解散を表明した会見においても、安倍は「対話の努力は時間稼ぎに利用されました」「今後ともあらゆる手段による圧力を最大限まで高めていく他に道はない」など、繰り返し対話を否定、圧力を強調した。そこには国民を煽る感じさえ窺われた。こうした発言が、安倍本来の右翼的思想のなせる業なのか、あるいは選挙を意識して強い指導者像を演出したかったのかはわからない。

一見格好のよい安倍の言葉、裏を返せば、単純で情緒的な強硬論にほかならない。そこには、トランプや金正恩の言葉と同レベルの危うさが潜む。

だが、対話はそんなに悪いことなのか? 圧力のみを口にすることがそんなに立派なことなのか?

 

北の核ミサイル保有は止められない、という現実

議論の大前提として明確にしておくべきことが二つある。

一つは、北が米本土に届く核ミサイルを保有するのを止めることは、今からいくら圧力を強化しても無理、ということ。それを口にすることは政治的に正しくないため、日米両政府が公に認めることはない。いわば、暗黙の了解である。

これは、敗北主義でもなんでもない。北の核・ミサイル技術は完成に近づきすぎてしまった。ここからどんなに制裁を強化し、圧力を強めたところで、「米本土に届く核ミサイルを保有することこそが最大の安全保障確保策」と信じている北朝鮮は、それこそ石にかじりついてでも完成にこぎつけようとする。また、強力な経済制裁によって軍事的野望を抑え込むことができるなら、真珠湾攻撃は起こっていない。

北の野望を確実に砕く「圧力」があるとしたら、軍事オプションのみ。しかし、これは(米国、韓国のみならず日本にとっても)コストが高すぎ、現実的な選択肢とはまずならない。

9月10日及び11日付のブログで述べた、米国または北朝鮮が相手の動きを自国への攻撃とみなして戦争に突入するシナリオはまた別問題である。

もう一つは、対話(交渉)イコール制裁の全面解除ではない、ということ。交渉の呼び水として名目的な制裁の一部を緩和することはあってもよいが、本格的な制裁解除は、北が核・ミサイル実験を(少なくとも一定期間)やらないことを含め、善意を見せるか、約束を守ることが条件に段階的に行われるだろう。対話(交渉)が始まっても、制裁の相当部分は残ると考えられる。

 

対話の効用~北の核・ミサイル開発を遅らせる

以上の前提に立ったうえで、対話にどんな効用がありえるのか、見ていこう。

 対話(交渉)によって北朝鮮に核・ミサイルを放棄させることは、露ほども期待できない。よほど平和ボケのハト派でなければ、そんなことは安倍に言われなくても常識中の常識。上述の通り、金正恩は自らの命と地位を守るために米本土に届く核ミサイルを保有したい。いくら金を積んでも、石油や食料を提供しても、核やミサイルを放棄することなどありえない。

しかし、対話の目的は北朝鮮の核・ミサイルの廃棄だけではない。例えば、安倍が無益だったと決めつけた1994年の枠組み合意。確かに、北の核開発を「止める」という意味では失敗したが、それを「遅らせる」という意味では評価する声も少なくない。

北が米本土を攻撃可能な核ミサイルを保有するまで、今のペースであれば一年以内とも言われる。何らかの対話、交渉を通じてそれを数年先まで延ばせれば、それだけでも儲けもの、という考え方も成り立つ。実際、北朝鮮がミサイル発射を一定期間見合わせれば、現在のような高頻度で発射が続く場合と比べ、核弾頭搭載ICBMの実戦配備は先に延びる。その間に米朝関係が少しでも緊張緩和の方向に向かえば、米本土に届く核ミサイルを保有した北朝鮮がそれを使用する可能性を減らすことができる。あるいは、北朝鮮の体制転換を模索する時間に使うこともできる。こうした発想は、圧力のみを声高に叫んで北朝鮮による核・ミサイル開発及び配備を座視することに比べ、よほど現実的な外交安全保障政策と言える。

※ ティラーソン国務長官をはじめ、米政府が折に触れて北朝鮮との交渉姿勢を示唆するのは、交渉によって北の核・ミサイル放棄を達成しようとしてのことではなく、時間稼ぎと後述の危機管理の側面が大きいと思われる。

 

独裁者との意思疎通

もう一つ、対話(交渉)を通じて北朝鮮との間に意思疎通のチャンネルを作る、ということも危機管理上、極めて意義がある。金正恩の北朝鮮とトランプの米国が核・ミサイル問題を巡ってチキン・ゲームの様相を強めている今、まかり間違って両国が衝突すれば、小さな軍事衝突で終わる保証はない。それどころか最悪の場合、核兵器が使用される可能性も排除できない。

チキン・ゲームの危機管理に最も有効なのは、双方が意思疎通することによって疑心暗鬼を緩和し、作用・反作用の循環を止めることである。冷戦期、米ソ核大国の間で軍縮・軍備管理の交渉が持たれ、ホットラインが設けられたのもまさにこの理由による。

若き金正恩が国際的に孤立しているのは自らが選んだ道である。その結果、北朝鮮は米国の意図を自分たちの流儀で解釈しては疑心暗鬼に陥り、軍事的挑発を加速させている。米国の方も、「金正恩が本当に常軌を逸した人間なのか」「理性的な人間だが恐怖にとらわれて暴走しているのか」等々、実のところはわからないまま、北朝鮮の暴挙に反射的な対応を繰り返している。このままでは、事態が今以上にエスカレートして米朝が一触触発の状況を迎えた時でさえ、トランプと金正恩がテレビやツイッターで相手を罵りあい、軍事衝突に向かってまっしぐら、という悪夢のような状況もありえる。

戦争が近づいた時、危機管理上、最も重要なものは首脳間の意思疎通。今、北朝鮮との間に対話の窓口を開ければ、直接・間接を問わず、金正恩へのアクセスが図れるようになるかもしれない。それに成功すれば、北朝鮮の核・ミサイル開発を止める役には何一つ立たなくても十二分に大きな意義がある。もちろん、決して簡単なことではないが、トライする価値はある。

中国の仲介に期待したくても、中国が金正恩と話せるだけの太いパイプを持っているのか、極めてあやしい。金正恩は指導者になってから中国を訪問して習近平に会ったことがなく、中国高官の訪朝も途絶えて久しい。非常識に聞こえるかもしれないが、米国による対朝接触が不首尾に終わるようなら、日米はむしろ、習近平自らが金正恩との間で個人的なパイプを作るよう、求めるべきではないのか。(米国は、強硬路線で行くにせよ、柔軟路線で行くにせよ、中国との間で協力を模索することに何の躊躇もしないだろう。日本が圧力を叫ぶことに酔って米中連携の動きを見逃すような愚は絶対に避けるべきだ。)

 

 安倍総理は常日頃、「対話のための対話では意味がない」と歯切れよく語る。しかし、そうとも言い切れないのが外交の奥深さと言うものだ。

(次回に続く)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です