前回、トランプ大統領が、価値観、国際秩序、統治能力という3つのレベルで「過激な不確実性」をもたらすだろうと述べた。だが、トランプ政権下の「過激な不確実性」がいかに深刻な問題かを理解するため、以下の2点を補論として追加させてほしい。
第一は、トランプ政権下で上述の3つの不確実性は相互に干渉しあい、過激さを増す可能性があるということだ。
1971年の2つのニクソン・ショックを思い出してみよう。米中和解は親台・反共路線だった日本政府にとっても青天の霹靂であり、日本外交は日中国交回復に舵を切らざるをえなくなった。金ドル交換停止は変動為替相場制の導入を通じて日本経済をドル安・円高の世界に投げ込み、1980年代のバブルの遠因にもなる。それまで当然視してきたものを突如変えて国際秩序を大きく揺るがすという点では、ニクソン・ショックは「過激な不確実性」そのものであり、トランプ・ショックの先駆けと言ってもよい。しかし、両者を同列に置けばトランプのもたらす「過激な不確実性」を見誤ってしまうだろう。
世界を驚かせた米中和解は、北京政府と手を握ることによってベトナム戦争の泥沼から名誉ある撤退を実現しつつソ連の影響力増大を防止する、という考え抜かれた戦略であった。中国と結ぶことは一見、反共主義者として名高いニクソンの価値観に矛盾するようにも見えるが、当時中ソは対立しており、主敵の敵である中国と組んでソ連に当たることは米国の対ソ冷戦戦略として合理性があった。金ドル交換停止も、西側諸国の経済復興が進んで米国がそれまでほとんど一国で背負い込んでいた責任に耐えられなくなった状況を打開するため、窮余の一策として考案されたものだ。
それに対して、トランプがもたらすかもしれない変化は、練りに練った戦略というよりもポピュリズムの匂いが強い。(アメリカ・ファーストという言葉自体がポピュリズムの象徴である。)この政権では、従来とは異なる価値観に背中を押された結果、利害得失を度外視した決断が下されたり、政権運営の稚拙さゆえに予期せぬ対外緊張を生み出したりすることも覚悟しておく必要がある。
第二は、トランプ大統領のもたらす「過激な不確実性」は、ドナルド・トランプという一個人の特異な個性のみによって生まれるのではない、ということだ。
ロシアによるサイバー介入疑惑などがあるとは言え、トランプは選挙という民主的プロセスを経て選ばれた正当な大統領である。多くの米国民がトランプを忌み嫌っているのも事実なら、別の多くの米国民がトランプの主張に共鳴し、彼を熱烈に支持していることもまた事実だ。トランプ大統領の一見無責任に見える言動は、トランプをとりまくオルト・ライトの連中たちを含め、全米各地に存在する多数のトランプ支持者たちが共有するムードに根ざしている。ポピュリストであるがゆえにトランプは、自らの支持者の受けを狙い、簡単に彼らを裏切ろうとしないだろう。逆にトランプがまともになったからといって、今さら民主党支持者や穏健な共和党支持者がトランプ支持に回るわけもなく、単に自らのコアな支持者を失って政権は崩壊するしかない。トランプは極端な言説を続けるしかないのではないか。
その意味で、トランプ大統領の出現は半ば偶然、半ば必然。「過激な不確実性」の根は想像以上に深いと考えておいた方がよい。