日米同盟と尖閣⑤~フォークランド紛争と尖閣有事

尖閣有事における米国の出方を予測するに当たり、「米国政府にとって重要な国同士が絶海の孤島をめぐる領土問題で軍事紛争に至った」という意味で参考になる歴史的事例がある。1982年に英国とアルゼンチンの間で起きたフォークランド紛争だ。フォークランド紛争の際の米国の対応を振り返ることによって、尖閣有事が起きれば米国はいかに動くか(動かないか)、もう少し深読みしてみよう。フォークランド(スペイン語名:マルビナス)諸島は、アルゼンチンの沖合五百キロメートルの大西洋上に浮かぶ小島の集合体。19世紀前半以降英国の実効支配が続いているものの、今日に至るまで英国とアルゼンチンが領有権を争っている。1982年4月2日、アルゼンチンのレオポルド・ガルチェリ大統領は同諸島に軍事侵攻を命じ、英国守備隊を降伏させた。時の英首相マーガレット・サッチャーは直ちに艦隊の派遣を決断し、6月14日にアルゼンチン軍守備隊が降伏するまでの間、両国は戦争状態に入る。アルゼンチン軍兵士およそ650名、英国軍兵士約250人のほか、住民3名が命を落とした。

同盟国同士が戦ったフォークランド紛争

この紛争における米国の対応については、「同盟国である英国を支持して便宜を図った」と理解されがちである。確かに、ロナルド・レーガン米大統領は最終的に英国を支持した。米軍は直接戦闘に参加していないが、英軍を様々な形で支援したことも明らかになっている。しかし、フォークランド紛争は米国にとって貴重な同盟国同士の間で起こった、というのが真実である。

米国にとって英国は同盟国中の同盟国だ。両国とも北大西洋条約機構(NATO)に加盟していることはもちろん、歴史的にも政治的にも「特殊な関係」にあると自他的に認めている。当時、ソ連によるアフガン侵攻や欧州への核戦力配備などをめぐって米ソ関係が緊張した時もサッチャー首相は一貫してレーガン大統領を支持した。

だが、もう一方の紛争当事者であるアルゼンチンも米州機構(OAS)の一員として、れっきとした米国の同盟国であった。当時、レーガン政権はニカラグアにおけるコントラ戦争をはじめ、中南米で共産主義勢力と熾烈な抗争を繰り広げており、米国にとってアルゼンチンの「価値」は我々が想像する以上に高かった。

付け加えると、米国が英国及びアルゼンチンと結んでいた相互防衛条約の集団防衛条項は、いずれもフォークランド紛争には適用されていない。フォークランド諸島は北大西洋条約が対象とする「北回帰線以北の大西洋」に位置していなかったので対象外。米州共同防衛条約(リオ条約)についても、一部の中南米諸国が主張した集団防衛条項の発動は、アルゼンチンが先に攻撃したことを理由に米国などの反対に会い、結局見送られた。

フォークランド紛争における米国の対応を振り返って一番印象的なことは、レーガン大統領が英国とアルゼンチンの間に立ち、如何に穏便に紛争を収拾させるかに終始腐心していたことだ。誰が見ても最も重要な同盟国である英国の危機にもかかわらず、米国は決して一方的に英国に肩入れしていない。以下、米国政府の動きを中心にフォークランド紛争をざっと振り返る。

米国は何をしたか?

侵攻の始まった4月2日、レーガンはサッチャーの依頼を受けてガルチェリに電話をかけて自制を求めている。アレクサンダー・ヘイグ米国務長官も在米アルゼンチン大使を呼び、アルゼンチンがフォークランドを攻撃すれば英国は反攻するという見通し――アルゼンチン側はフォークランドを占領しても英軍は出て来ないと予想していた――を伝えるとともに「アルゼンチン政府が武力を行使すれば、米ア関係は最悪の時代に戻る」と警告した。侵攻が起こった後、アルゼンチン政府は在ブエノスアイレス米大使館に対し、米国政府の対英協力を「水面下の外交的支持」にとどめてほしい、という希望を伝えてきた。

4月3日、英国機動艦隊の第一陣が英国を出発。同日、レーガンはヘイグ国務長官に英国とアルゼンチンの間で調停に当たるよう命じる。交渉の猶予期間は、英艦隊がフォークランド海域に集結する四月下旬までというのが暗黙の了解だった。サッチャーは米国の姿勢に怒り、対アルゼンチン禁輸を含む米国の全面的な支援を求めた。しかし、米国政府は「英国の対ア制裁に参加すればアルゼンチン政府は米国を調停者として受け入れなくなる」と考えていた。

英国とアルゼンチンの間で調停に当たったヘイグの案は、アルゼンチン軍の撤退を求める一方で、米国や南米諸国による暫定統治の導入、フォークランド諸島の主権に関する英ア交渉などを提案しており、英国の主張に沿ったものでは必ずしもない。ヘイグは「我々は中立ではない」と苛立つサッチャーを宥めた。だが同時に、「英国に好意的な米国世論もいつまで続くかわからない」とも述べ、英国も領土問題について杓子定規の判断は避けるべきだと苦言を呈している。他方で、緒戦の戦果に高揚したアルゼンチンはフォークランド諸島の施政権を保持することにこだわっていた。

この頃、ヘイグは「この調停がとても骨の折れる難事業になることは明らかだ。それでも米国にとって甚大な利害が懸かっている以上、どうしてもやらなければならない」とレーガンに報告している。レーガンも、盟友であるサッチャーが政権を維持するのに十分で、かつ隣人たるアルゼンチンが米国を公正だと評価するような「妥協」を探ることのむずかしさは十二分に自覚していた。

4月8日、キューバやソ連などの共産主義勢力が中南米へ浸透することを危惧し、アルゼンチン寄りの立場だったジーン・パトリック国連大使は、英国を支持すべきと考える国防総省やCIAと激論を交わした。当時、米政権内が英国支持で一枚岩だったとは言えない。

ただし、米国の立場が中立的だったと言うのは完全な間違いだ。米国の要請で公表は控えられていたが、紛争の極めて初期段階から米英の軍同士の間では水面下で――もちろんレーガン大統領了解のうえで――緊密な協力が行われた。特に、米国がアルゼンチン軍の動向に関するインテリジェンスを提供し、英国とアルゼンチンのほぼ中間に位置するアセンション島の米軍基地を英艦隊に供与したことは極めて重要な意味を持った。米軍による初期の予測は、英国艦隊の能力はフォークランド諸島近海に到着後、急速に低下すると見込んでいた。米軍が整備・補給面で支援していなければ、戦争の結果は変わっていたかもしれない。

4月25日、英軍がアルゼンチンの潜水艦『サンタフェ』を沈め、南ジョージア諸島を奪還した。その4日前、ヘイグ国務長官は英軍の南ジョージア作戦をアルゼンチン側に事前に知らせようとしている。英国の反対で断念したが、ヘイグが調停の成立に必死だった様子が伝わるエピソードである。

4月29日、アルゼンチンは米国の最終調停案を拒否。翌日、米国政府は英国支持と対ア制裁実施を表明した。

5月1日以降、フォークランド諸島周辺で戦闘が本格化する。アセンション島からフォークランド諸島を空爆するなど、戦況は大勢として英側有利に進行した。しかし、この間も米国は非公式に調停の努力を続け、英国に対して「フォークランド住民(=英国系)による民族自決」という原則を取り下げるよう求めている。

5月14日、米国家安全保障会議(NSC)は、アルゼンチンへの軍事輸出の停止、輸出入銀行による新規信用供与の停止等を含む対英支援策を決定した。

5月31日、レーガン大統領はサッチャー首相に電話し、戦局が英国有利に進んでいたにもかかわらず、停戦するよう求めた。アルゼンチンが大敗北を喫すれば、中南米諸国で米国に対する不満が高まるだけでなく、ガルチェリ政権が崩壊した後で左翼政権が誕生するかもしれず、同地域で反共体制と戦っていた米国政府にとって不利な状況が生じかねない――こうした懸念が米政府内では強まっていた。だがサッチャーは、「アラスカが侵略されて米国政府が今の英国と同じ立場になれば、そんな提案を受け入れることはないであろう」と撥ねつけた。

6月3日、米国と英国はパナマとスペインが提出した英ア両国に即時停戦を求める国連安保理決議案に拒否権を行使した。

6月11日、英軍がポートスタンレー(東フォークランド島)を奪還。同14日、フォークランドのアルゼンチン軍が無条件降伏。同17日、ガルチェリ大統領が失脚した。

以上、フォークランド紛争の際に米国政府がとった対応を駆け足で見た。次はフォークランド紛争と尖閣有事を比較し、両者の間の共通点と相違点を整理しておこう。

島をめぐる領土紛争

最初は共通点から。少なくとも一般的な米国市民の感覚に即して言えば、フォークランド諸島と尖閣諸島はどちらも「絶海の孤島」であり、大した価値もない。そして、両諸島とも領土問題の対象として係争地となっている。

米国にとって大事な国同士の戦い

フォークランド紛争と尖閣有事には、米国にとって重要な国同士の戦争になるという点でも共通点がある。フォークランド紛争の場合、英国とアルゼンチンが共に米国の同盟国であったことは既に述べた。尖閣の場合はどうか。日本が米国の同盟国であることは言うまでもない。安保条約第5条によって米国は日本防衛義務を負い、同第六条で米国に提供される基地は米軍の世界戦略上欠かすことのできない価値を持つ。これに対し、単純な評価を許さないのが米中関係だ。中国は米国の同盟国ではない。それどころか、両者の間には敵対する部分も少なくない。しかし、米中の経済関係は圧倒的なボリュームに達し、米国は戦略的にも多くの点で――北朝鮮問題はその典型である――中国の協力を必要としている。トランプが何とツィートしようとも、今日の米国にとって中国は、レーガン政権にとってのアルゼンチン以上に重要な国だ。もしも尖閣有事が起きれば、米国政府は英国とアルゼンチンの狭間で揺れたフォークランド紛争の時よりも遥かに激しく、日中両国の板挟みとなるであろう。

他方で、フォークランド紛争と尖閣有事では、無視できない違いもいくつかある。

大国間の戦争

まず、紛争当事国の存在感が全然違う。国際通貨基金(IMF)の統計によれば、1981年のアルゼンチンのGDP(購買力平価ベース)は世界のGDPの1.1%、英国は3.8%だった。これに対し、2015年の中国のGDPは世界の14.9%、日本は5.9%を占める。世界経済の2割以上を占める日中が戦えば、その影響はフォークランド紛争の比ではない。

強い、近い、早い

紛争当事国の戦争遂行能力や地理的諸条件も大きく異なる。1982年当時のアルゼンチン軍は、欧米から軍事援助を受け、エグゾゼ・ミサイルを含め先端武器も保有してはいたが、所詮は発展途上国の軍隊であった。沖合に浮かぶフォークランド諸島を(一時的に)獲ることはできても、遠く離れた英国本土を攻撃する力は軍事的にも経済的にもまったくなかった。対する英国にも「七つの海」を支配した大英帝国の面影はもはやなかった。1万3千㎞も離れたフォークランド諸島に何とか艦隊を派遣したが、米軍の支援抜きでは継戦能力も覚束なく、アルゼンチン本土を叩く力などもちろんなかった。その意味で、フォークランド紛争はエスカレーションと言っても限界があった。

尖閣有事はそうではない。中国は2015年の軍事支出が世界の約13%を占め、米国(36%)に次ぐ世界第2位の軍事大国だ(SIPRIの統計による、以下同じ)。日本も同年の軍事支出は世界の2.4%で世界第8位の座にあり、自衛隊の装備は概して先進的で練度も高い。しかも、日本と中国は海を挟むとは言え、隣接している。例えば、福岡―上海間は900㎞にも満たない。したがって、尖閣有事では日中の双方が尖閣周辺を含む東シナ海に近代的な兵器で武装した軍隊をごく短期間のうちに派遣することは十分に可能ということになる。フォークランド紛争の際は英艦隊が到着するまで約3週間かかったが、海保と海警、自衛隊と中国軍はものの数日で尖閣付近に集結できる。航空機なら数時間だ。尖閣有事ではエスカレーションの梯子を駆け上がるスピードが格段に速いかもしれない。日本、中国、米国の三者はそれぞれが極めて短い時間の間で――すなわち、極めて混乱した状況の中で――極めて重い決断を下していかなければならない。

さらに悪いことに、中国は日本の本土にミサイル攻撃を仕掛ける能力を持っている。まったく仮定の話だが、局地戦における戦局が日本有利に推移すれば、面子を失った中国指導部が日本本土へのミサイル攻撃に踏み切る可能性もまったくないとは言い切れない。もちろん、日本列島にミサイルを撃ち込めば米軍の介入を招きかねないため、中国もおいそれとは決断できまいが、やろうと思えば、フォークランド紛争時のアルゼンチンと違い、中国はその能力を持っている。尖閣有事の際のエスカレーションの梯子は、駆け上がるのが速いだけでなく、とてつもなく高いところまで登ってしまう可能性があるのだ。

米中が戦う可能性

フォークランド紛争で水面下における英軍支援を決めた際、レーガン大統領は米本土または海外の米軍基地がアルゼンチンに攻撃されることを心配する必要は皆無だった。しかし、尖閣有事ではそういう訳にはいかない。長年軍事の近代化を進めてきた中国の海空戦力と現場海域で相まみえれば、世界最強の米軍でさえ、負けることはなくとも相当な被害を覚悟せざるをえない。加えて、沖縄や佐世保など在日米軍基地(及び在韓米軍基地)は中国軍のミサイルの射程に入っている。中国のミサイルの精度は非常に高く、固定された米軍基地――自衛隊の基地も例外ではない――にとっては極めて深刻な脅威となろう。もっと言えば、中国は米本土に届く核弾頭ミサイルを既に配備している。おいそれと使えるわけではないが、米国もそのことは意識せざるをえない。

中台有事への波及

最後に、尖閣有事が起きた場合の戦域と台湾との間は「目と鼻の先」と言ってよいほど近接しているという事実を指摘しておく。何かのきっかけまたは偶発的事件によって自衛隊と中国軍の戦闘が台湾に飛び火することも杞憂とは言い切れない。尖閣有事と中台有事が重なれば、米国は中国との間でより大規模な戦争に巻き込まれるリスクも格段に増大する。そんなことになれば、米国にとってはまさに悪夢であろう。

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