敵基地攻撃能力保有論の薄っぺら①~なぜ、敵基地攻撃なのか?

昨今、北朝鮮に対する敵基地攻撃能力保有論なるものが安全保障の専門家と称する国会議員の先生方から(以前にも増して)聞こえてくるようになった。だが、私の率直な感想は「もう少し真面目に考えてくれよな」というものである。3回のシリーズに分け、敵基地攻撃能力保有論の背景、実際上の問題点、その他の議論(イージス・アショアやTHAADの配備)について論点を整理してみる。

北朝鮮の核・ミサイル開発が止まらない。それどころか、北のミサイル技術の進展は予想以上のスピードで進み、想定以上のレベルに達してきた。この事態を受け、日本も「敵基地攻撃能力」を保有すべきだという議論がかまびすしくなっているようだ。自民党は安全保障調査会の下にチームを立ち上げて検討を進め、去る3月30日には政務調査会名で政府に「弾頭ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」を提出、安倍総理も「しっかりと受け止め、党とよく連携していきたい」と応じた。

北朝鮮を例にして極々簡単に言えば、敵基地(策源地)攻撃能力保有論とは、北朝鮮(敵)が日本にミサイル攻撃を仕掛けてくる事態に備え、自衛隊が自ら北のミサイル発射基地を叩くべし、というものだ。敵基地攻撃の議論は昔からある。なぜ今、敵基地攻撃の必要性が叫ばれているのか? その思想的(情緒的)背景と戦略論的な背景を見ておこう。

ナショナリズム

声高に言うのは控える人が多いが、敵基地攻撃能力保有論の背景には対米自立のナショナリズムが間違いなくある。戦後日本の防衛政策は、専守防衛の自衛隊が盾となり、敵地に出向いて攻撃する矛の役割は米軍が担うことを基本としている。しかし、矛の部分を全面的に米国に依存するのは独立国家として問題だ、というわけだ。

ナショナリズムの矛先は北朝鮮にも向く。経済的に貧しい独裁国家の北朝鮮が目と鼻の先で挑発行為を散々繰り返し、拉致問題も全然解決されていない。北朝鮮に自らの手で鉄槌を下すべきだという主張は、心情的には少なからぬ日本人の共感を誘う。

「攻勢への憧憬」

もう少し詳しく見れば、敵基地攻撃能力保有論を唱える人々の中には、従来の抑止論の綻びとナショナリズムの台頭を利用しながら、専守防衛という(彼らに言わせれば)腰抜けの防衛政策を変えたい、と考える者も存在する。こうした「軍事的攻勢への憧憬」を抱く人々の深層心理には、北朝鮮のみならず中国とも軍事的に対抗していくべきだという考えが流れている。その代表格は「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍総理である。

ミサイル防衛(MD)の限界

過去20年近く今日に至るまで、北朝鮮のミサイル攻撃に対処する我が国防衛政策の支柱の一つが弾道ミサイル防衛(BMD)であることは改めて説明するまでもない。飛来する弾道ミサイルに対し、日本海上のイージス艦からSM-3によって大気圏外のミッド・フェーズ(ミサイル飛来の中間段階)を狙い、陸上配備のPAC3によってミサイル落下時のターミナル・フェーズ(ミサイルの落下段階)を迎撃することになっている。BMDが想定してきたのは、基本的にはスカッドやノドン程度の高度・速度を持ったミサイルが単発で(あるいは散発的に)撃ちこまれる状況であった。百発百中ではないが、それなりに役に立つ、というのが大方の理解だった。

しかし、今年に入ってから様相が変わってくる。3月6日、北朝鮮は4発のミサイルを同時に発射し、うち3発が日本のEEZ内に着弾した。5月14日と7月4日には、高度2000mを超えるミサイル――7月に発射されたミサイルは航続距離の観点からICBMに分類されることになった――を発射。前者の同時多発攻撃は日本のMDで迎撃可能なミサイルの数を超えた飽和攻撃を示唆するもの。後者のロフテッド軌道(通常よりも高く打ち上げて山なりに落とす)は弾道ミサイルの高度と速度を引き上げる。いずれも既存のMDシステムでは迎撃が困難と言われているものだ。

去る5月17日、日本記者クラブで行われた講演で小野寺五典元防衛大臣は「北側のミサイル発射能力の向上(同時発射、着弾精度、長射程)により、イージス艦や陸上から迎え撃つ従来的な弾道ミサイル防備(BMD)装備では対応が困難になってきた」と述べ、「(北朝鮮が)撃つ前のミサイルを無力化するのが一番確実なミサイル防衛だ」と訴えた。

※ 日本のMDの最大の弱点は、イージス艦やPACの数もさることながら、それらのプラットフォームに装填できる迎撃ミサイル(インターセプター)の数が極めて限られていること。北朝鮮がミサイルを何発も撃ち込めば、日本のMDはすぐに弾切れになるという笑い話のような問題は今に始まったことではない。同時多発発射やロフテッド軌道によってMDの信頼性が低下した、と言うのは正確性を欠く議論だ。

 

自前の抑止力

北朝鮮のミサイル攻撃に対し、自衛隊が盾となり、米軍が矛となって北朝鮮の脅威を除去する、というのが日本の対北防衛政策の基本であることは既に述べた。すなわち、北朝鮮の初期のミサイル攻撃をBMDで凌ぎ、その間に米軍が北朝鮮のミサイル基地等を破壊して北の脅威を除去する、という算段である。これは同時に、日本を攻撃すれば米軍による反撃が待っている、と北朝鮮を威嚇することを意味しており、大きな抑止機能を果たしている。

敵基地攻撃論者の理屈は、この攻撃能力をすべて米国任せにするのではなく、日本も独自に反撃能力を保有した方が北朝鮮に対する抑止・防衛効果を充実させられる、というもの。これには二通りの解釈が可能だ。一つは、米軍だけで攻撃するよりも自衛隊も加わった方が攻撃力は多少なりとも増すという単純な足し算。

※一般的に言って米軍は、装備・練度等に劣る国の軍隊(=事実上、自国以外のすべての国の軍隊)の攻撃参加を好まないことが多い。自衛隊は装備・練度等では良い方だと思うが、実戦経験がないうえ、憲法・法制上の制約も多い。米国は自衛隊の攻撃参加が軍事的にプラスになるとは考えない可能性の方が高い。

 

最近はもう一つ、「北朝鮮が米本土に届く核ミサイルを開発・配備すれば、日本が攻撃されても米国が北朝鮮を100%攻撃するとは限らなくなるのではないか」という戦略的懸念が出てきた。これが「日本は自前の攻撃能力を持つ必要がある」という主張を強化しているのだ。

このまま行けば北朝鮮は数年から5年程度で米本土を射程に入れる大陸間弾道弾(ICBM)の開発と核弾頭の小型化に成功すると予想されている。(大気圏再突入の際の耐熱性確保と入射角制御は技術的に低いハードルではないが、いくら失敗しても頻繁に実験を繰り返せることが北朝鮮の最大の強みである。)北朝鮮が核弾頭付きのICBMを実戦配備すれば、これまで我々が当然と期待していた米国の拡大抑止に疑問符がつきかねない。

今日までのところ、北朝鮮の対日攻撃を受けて米国が北朝鮮を攻撃しても、北朝鮮の反撃が届くのは韓国、せいぜい日本までだ。在韓・在日米軍基地を別にすれば、逆立ちしても米本土が攻撃される危険はないため、米国は安心して北朝鮮を叩ける。しかし、米本土を射程に収める移動式(あるいは潜水艦発射式)の核ミサイルを北朝鮮が実戦配備すれば、話は違ってくる。

もちろん、北が核ミサイルを保有したところで米朝間に核のパリティ(均衡)が成立することはない。両国が戦争に至れば北朝鮮は滅亡するしかない。しかし、緒戦段階で(米側がミサイルの迎撃に失敗して)ニューヨークやロサンゼルスが核攻撃を受けることになれば、数十万人以上の米国市民が犠牲になる。このリスクを考えた時、米国大統領は日本や韓国を防衛するために北朝鮮への攻撃命令を出すだろうか? この種の懸念はもっともなものと言える。逆に言えば、北朝鮮はこの状態に持ち込んで米軍の攻撃を抑止し、金王朝体制を持続させたいがために核・ミサイル開発を決してやめないのである。

「その時」が訪れた時、米国が北朝鮮を攻撃するかどうかは、実のところ、誰にもわからない。しかし、北朝鮮が日本を攻撃しても米国が動かなければ、日本の防衛戦略から「矛」が失われることになる。最悪の事態に備え、自ら北朝鮮を攻撃する能力を持っていなければならない――。この主張は一見、極めて説得力があるように聞こえる。

ところが、敵基地攻撃の現実を掘り下げて検討してみると、敵基地攻撃論は上述の戦略的懸念を解消する答になっていないことが一目瞭然となる。その説明は次回に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です