なんとなく9条が改正されるのは我慢できない

このまま行けば、来年(2018年)は憲法改正が国政の重大なテーマとなる可能性が高い。その場合の焦点はズバリ、9条である。しかし、安倍総理が持ち出した「1項、2項は変えずに自衛隊を明記する」という提案のせいで、安全保障をめぐる国家像についてあまり深く議論されることのないまま、改憲議論が進むような予感がしてならない。と言うのも、安倍の提案は多くの国民にとって耳触りがよく、当たり前のことを言っているように聞こえるためだ。

安保法制を違憲と述べた憲法学者を無視した安倍が「多くの学者が自衛隊を違憲と言っている」ことを問題視することは矛盾しているし、自衛隊の最高司令官という立場にあって自衛隊違憲論を吹聴するのは無責任の極みである。だが、少し表現を変えて「小さい子供にもわかるように自衛隊を明記する」と言われれば、自衛隊の存在を否定する人でもない限り、一言で反論することは結構むずかしい。私も自分の子供が小学生だった頃、9条の下で自衛隊が存在することを説明しようとして内閣法制局の論理を引用しかけ、純粋な子供相手にこんな説明をしては駄目だ、と思ったものだ。

 しかも、安倍は自衛隊を憲法に明記しても「自衛隊の任務や権限に変更が生じることはない」と述べている。「じゃあ改憲しなくてもいいじゃないか」と突っ込む人より、「それなら改憲してすっきりさせた方がいい」と受け入れる人の方が多くなるのではないか。

北朝鮮情勢を追い風に自衛隊の存在を明記する、1項、2項の保持によって「平和主義」は変えないと説明する、「自衛隊は現実に存在し、みんなが評価もしているのに、何で憲法には軍隊(戦力)の不保持と書いてあるのだ?」という国民の素朴な疑問に訴える――。9条改正を実現するという目的に限って評価すると、この3点セットはなかなかよく出来ている。

※ 憲法第9条:                                        日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。                                 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

実際には、1項、2項を変えなくても自衛隊を明記することによって集団的自衛権行使の範囲を含めた現行解釈が将来的に緩和される可能性は極めて高い。所謂ハト派の人たちはそのことを心配している。

一方で、将来解釈を変えるにしても1項、2項がそのまま残ればやはり制約が残る。それでは改憲しても自衛隊に認められるのは中途半端な武力行使であり続ける、というのが所謂タカ派の持つ懸念だ。

立場の違いはあれ、どちらも正論である。しかし、安倍や高村(自民党副総裁)は、ハト派の懸念に対しては改憲発議の過程で「何も変わらない」と誤魔化し、タカ派に対しては「悲願の憲法改正に向けた第一歩だ」と宥め、やり過ごそうとするのではなかろうか。安保法制の時も似たような感じだった。

政治的に見れば、安倍は上手いのかもしれない。でも、そんないい加減な憲法改正が実現しても、この国の安全保障政策の健全な発展には結びつかない。せっかく憲法改正の議論を行うのであれば、各政党、各個人が「日本が国家として持つべき安全保障像」を提示し、白熱した議論を戦わせるべきだ。ハトとタカが意見をぶつけ合う中でこそ、日本の安全保障政策は進化するのだと私は信じる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です