去る9月28日、安倍総理は突然、衆議院を解散してそれを「国難突破解散」と呼んだ。安倍の言う国難とは、端的に言えば、少子高齢化(及び人口減少)と北朝鮮の脅威の二つ。それと解散がどう結びつくのかは誰にもわからず、解散の大義としては実に安倍らしい牽強付会ぶりであった。しかし、少子高齢化・人口減少と北朝鮮の脅威(そして中長期的には対中関係)が我が国の直面する二大テーマだという指摘は至極まっとうな主張だ。特に、少子高齢化・人口減少を「国難」とまで位置づけたことは「瓢箪から駒」になるかもしれない。ただし、本気で取り組めば、の話である。
人口減少こそ最大の国難
5年続いたアベノミクス。その本質を好意的に解釈して一言で言えば、国家総動員的なデフレ対策である。デフレの遠因は1980年代のバブルとその崩壊に求められる。先日、日経平均がバブル崩壊後の戻り高値を抜いたと話題になった。アベノミクスは平成の世のほとんどを通じて官民が取り組んだバブル後遺症との戦いにともかく一区切りをつけた、と見ることもできよう。
しかし、そのアベノミクスもそろそろ、終局あるいは少なくとも大きな転機を迎えそうだ。まず、アベノミクスの肝(=第一の矢)である金融緩和をこれ以上続けることはむずかしい情勢になりつつある。欧米諸国は既に金融緩和の出口に向けて動き始めた。黒田日銀総裁がぶち上げた2%という目標には遠く及ばないが、日本の物価上昇率もどうにかプラスに転じている。日銀も来年あたり、ゼロ金利解除を含んだ金融政策の中立化に踏み出さざるをえないであろう。金利が多少なりとも上昇に転じれば、アベノミクスの第二の矢である大規模財政出動にも影響は避けられない。そして、三本目の矢である構造改革。日本中の政党が後ろ向きである以上、今後もこれまで同様、極めて緩慢にしか進むまい。
日本の企業業績や国際経済の動向は今後も比較的堅調に推移すると見られる。目先の1~2年であれば、日本経済は必ずしも――北朝鮮有事でも起こらない限り――悲観すべき状況にはない。だが、その先でアベノミクスの三本の矢が尽きてしまった時、日本経済には少子高齢化・人口減少という構造的な「重し」がもろにのしかかってくるだろう。
今年4月に発表された将来人口推計によれば、2065年に日本の人口は8,808万人となって現在よりも3割減少し、65歳以上の高齢者が総人口の4割近くに達する。もはや、この本丸に切り込むことになく、日本経済の活路が開かれることはない。少子高齢化・人口減少との戦いこそ、ポスト・アベノミクスの最大のテーマになる。
少子高齢化・人口減少問題を克服できるか否か? それが我が国にとって致命的に重要なのは、経済成長への影響という観点のみからではない。若者が減って老人が増え、総人口も減少すれば、年金財政や地域社会の存立も立ち行かなくなる。人口減少に伴う国力の低下は、対中国を含む外交安全保障面でも日本の立場を弱めるであろう。だからこそ、「国難」と位置づけて全力で取り組む意味があるのだ。
政府案では全然足りない
政府・与党は今回、消費税を8%から10%へ引き上げることによって生じる財源の一部を使い、幼児教育の無償化等に取り組む方針を打ち出している。民進党の政策のパクリだという批判はさておき、方向性は決して間違っていない。しかし、日本政府の十八番である“Too Little, Too Late”の陥穽にはまっており、手放しで褒めるには気が引ける内容となっている。
そもそも、今後金融緩和が修正される見通しの中で2019年10月の消費税引き上げを予定通り行えるか自体、予断を許さない。前提となる消費税引き上げが三度先延ばしされれば、安倍総理が先般の選挙で公約した幼児教育無償化なども「絵に描いた餅」となりかねない。
しかも、今回政府・与党が提唱する教育の一部無償化によって実際に恩恵を被る人は一部に限られる。例えば、3歳から5歳までは完全無償化だと言っても、幼稚園・保育園に入れない「待機児童」状態の家庭には関係がない。0~2歳児の教育・保育無償化費用も現時点におけるごく限られた利用者数しか想定していない。これでは、子供をほしいと思う若い人たちを子育て・教育に関する経済的な不安から解放することなど不可能だ。
移民を大々的に解禁するのでない限り、子供が増えなければ少子高齢化・人口減少対策を解決できないことは自明の理である。この問題に本気で取り組もうとすれば、政府が考えているような2兆円弱の予算ではとても足りない。数倍の追加財源が毎年必要になる。その時、財政中立をめざして財源確保にこだわるのか? それとも、子育て・教育分野に対する財政出動を正当化して赤字国債の発行を許容するのか?
私個人の意見では、財源を見つけられた範囲で予算をつける、というケチ臭い発想で少子高齢化・人口減少問題を解決することはできない。ポイントは、若い世代が「子供を産みたい、育てたい」と思えるようなインパクトを与えること。そのためには、中身もさることながら、規模が大事である。財源の全部とは言わないが、一部は赤字国債を発行してでも必要な額を教育・子育て分野に大胆に投入すべきだ。
赤字国債=悪者、という固定観念についても、この辺で考えなおしてみてはどうか。今日の日本で個人消費と企業投資は力強さを欠いており、近い将来、改善の気配は見られないため、政府が財政出動して需要を作ることが正当化されうる。ただし、今後の財政出動の中身は公共事業中心から子育て・教育中心に大転換するのである。(乗数効果も後者の方が高いと言われている。)政府支出によって教育・子育て分野に新たな需要が生まれれば、企業にとってはビジネス・チャンスになる。若い世代(特に女性)は幼児教育・保育の無償化などによって子育てから解放され、仕事に出る。その結果、世帯収入が増えれば個人消費も増加することが期待できる。このような好循環が生まれることに加え、子供が増えるということは将来の納税者が増えることを意味する。赤字国債の発行を認めることによって少子高齢化・人口減少問題の解決に大胆に金を使っても、将来的には税収増になって返ってくるため、国債金利を払っても十分にお釣りがくると考えられる。
とは言え、現下の財政状況を考えれば、必要となる財源のすべてを国債発行で賄うというのは乱暴に過ぎる。現実には、歳出の見直し、増税、赤字国債の組み合わせを財源として大規模な政策パッケージを実行すべきである。ここで増税について一言だけ述べておく。過去の消費増税等の場合と異なり、今回は増税した分の歳入は政府が全部支出するため、日本経済全体で景気の腰折れを心配する必要は基本的にない。
政策の競争が必要だ
無理筋の解散を正当化するため、という理由があったにせよ、先の総選挙で少子高齢化問題を強調し、教育の無償化政策などを正面から訴えたのは与党の自民党と公明党であった。それに対して野党は、消費税引き上げ反対を打ち出したために教育・子育て分野での政策はパンチを欠き、選挙上の主要争点からもこのテーマをはずしてしまった。安倍政権が少子高齢化対策への本格的取り組みを怠ってきた一方、野党(特に民進党)が教育・子育てに財源を大規模に注ぎ込むことを一足先に提案していたことを考えれば、何とも皮肉な話である。
選挙は終わったが少子高齢化・人口減少が国難である事実は少しも変わらない。今、政府が打ち出そうとしている具体的な施策も不十分な第一歩にすぎない。そう考えれば、野党の役割もまだ大きいはず。教育無償化を憲法改正のテーマにするといった横道に逸れる議論は勘弁してほしいが、前述の財源問題に対する考え方に加え、具体的政策メニューについても政府・与党とは異なる選択肢を示してもらいたい。例えば、教育・保育の完全無償化や現物支給にこだわらなければならないのか? 子ども手当(新児童手当)拡充との組み合わせという考え方はないのか? 小中学校の給食費はどうするのか? 大学授業料まで全面的な無償化する必要があるのか・・・? このテーマへの取り組みで後れをとれば、野党は国難から目を背けているという誹りを受けることはもちろん、与党に経済政策の主導権を渡し続けることになるだろう。